「ストーカー」という言葉をよく聞くようになりました。「ストーカー」とは特定の個人に対して過剰なほどの関心を持ち、そのあとを追い回すものというような意味です。
近年は大きな「社会問題」となり、その言葉が「辞書」にまで掲載されるようになりました。またテレビなどでも取り上げられ、被害者の生々しい実態がその怖さを伝えています。なぜ人は「理性」を失って極端で「過激な行為」に走るのでしょうか。またその根底には何があるのでしょうか。
「ストーカー」という行為は男性だけに限らず、女性にも起きる現象です。年齢も様々であり、若い人から老人に至るまで年齢の壁を越えて生じる現象です。すべての人が「加害者」になる可能性があり、また「被害者」にもなる可能性があります。自分だけは絶対にそんな行為に走らないと誰が言いきれるのでしょうか。「琉球四柱推命」の「占いカウンセリング」でも、こうした内容の相談を受けることが時々あります。
以前、20代くらいの若い女性が訪れました。彼女は占いなどを信じないタイプの人でしたが、母親に説得されて仕方なく来たようでした。それがよほど嫌だったのか、面談に入るなり突然言い放ちました。
「占いって本当に当てになるのですか」
突然の言葉に私は固まってしまいました。「どういうことですか?」
私が言い返すと彼女はさらに言いました。「自分は今仕事がうまくいきません」「しかし私と同じ生年月日の友人は今も仕事を続けています」「どうしてですか?」
その女性には同級生の友人がいて「全く同じ生年月日」といいます。その友人は現在も仕事がうまくいっており、自分はうまくいかない。全く同じ「生年月日」なのになぜですかというわけです。男性にはよくいるタイプですが、女性で見たのは初めてでした。理屈としては間違っていません。
「大変申し訳ありませんが、その友人とは生まれた時間まで一緒ですか?」
実際に「生まれた時間」や「生まれた場所」が違っていれば、まったく同じ運命にはなりません。いや、それがまったく同じであっても、まったく「同じ運命」にはならないでしょう。「生年月日」や「生まれた時間」「生まれた場所」によって定まるのはその人の潜在意識内の「心理構造」であり、運命そのものではありません。
ただその「心理構造」が「運命パターン」を形成していく「基礎」になりますので、「心理構造」がまったく同じであればたしかに「似たような運命」を形成していくでしょう。
ですが「心理構造」の中核にある個人の「精神」、言い換えれば「真我」である「アートマン」は一人ひとりまったく異なるものです。ですから運命がまったく同じになることはないのです。運命という観点からみれば「千人いれば千通りの運命」があり、「一万人いれば一万通りの運命」が存在するでしょう。
四柱推命などの「占星術」でわかるのはその人の「運命そのもの」ではありません。あくまでも潜在意識の「心理構造」から予測する「運命の傾向性」なのです。未来は最初からすべて決まっているわけではありません。その相談者の女性の発想じたいに完全に誤解が入っていました。彼女は言いました。
「生まれた時間まで同じかはわかりません」
「琉球四柱推命」においては「生まれた時間」や「生まれた場所」は大事な要素です。世間には「生まれた時間」やその「時間補正」をしないで運命を予測する「占星術」がありますが、そうした方法では「正確な判断」はできません。実際に「生まれた時間」がわからない人の場合、分析にかなり曖昧な要素が出てくることがあるのです。私は彼女に言いました。
「友人との違いは生まれた時間で違いが生じているのでしょう」
その女性は何となく納得したようです。私は彼女の「心理構造」を分析した「基礎データ」を読み込みます。正確な「生誕時間」がわからないのでやりにくさがあります。
「まず、この生年月日が間違いないのかを確認しましょう」
生まれた時間が不明の場合、「生年月日」すら違ってくる場合があります。特に夜中の「午前0時前後」に生まれた人の場合、「生誕場所」の「時間補正」を入れると実際には「前日」生まれになる人、あるいは「後日」生まれになる人がいます。
現在の日本で使われている時間は全国的に統一された「標準時」というものです。兵庫県の「明石」を中心として計算された時間であり、実際の各地域の「天文時間」とは異なります。本当の時間とは「太陽」の位置から計算しなければなりません。
たとえば「沖縄」と「北海道」では「1時間以上の時差」があります。ですからその人の生まれた瞬間の正しい時間は「天文計算」によって求めねばなりません。そうした事情から「琉球四柱推命」で「占いカウンセリング」をする場合、「生誕時間」の不明の人は本当にその日に生まれたのかを「確認」することがあります。
その女性の「基礎データ」をみると、昨年の〇〇年は「異性に関係する悪い影響がある」という暗示が出ていました。まずはそこから確認します。
「昨年、異性に関する悪い暗示が出ています」「異性に関することで何かトラブルがありましたか?」
それまで勢い込んでいた女性の表情が一変しました。
「どうしてわかるのですか?」
その「生年月日」は正しいようです。昨年の異性に関する否定的な「影響」はかなり強く出たようです。昨年の「辛い体験」を指摘され、相談の内容は仕事のことから「昨年のトラブル」へと変わっていきました。
「実はストーカーされたのです。本当に大変な年でした」
その女性は深刻なストーカーの「被害者」でした。大きな実害はなかったものの、精神的な「苦痛」は相当なものだったといいます。その一年間はずっと「ストーカー」に付きまとわれ、「無言電話」「尾行」などの言いようのない「恐怖」を感じたようです。その相手は「面識」がなく知らない相手であったといいます。
私は彼女の「基礎データ」を見ながら話しを聞いていました。なぜ彼女の運命パターンの中にこうした異性に関する「否定的な暗示」が最初から記されているのでしょうか。
数多くの運命を見てきた私ですが、現実的な感覚からすれば、このような現象は何度見ても「不思議」なものです。どうして彼女はこうした「深刻な事態」を招いたのでしょうか。そのことを彼女に聞いてもわかるはずもありません。私はさらに彼女の運命の流れを分析していきました。
彼女の運命の流れや「深層心理」の心理構造には、たしかに「異性に関するネガティブな要素」が出ていました。ということは、今回の事件は偶然に生じたものではなく、そうした現象を引き起こす要因が彼女の中にもあったということになります。
「運命の世界」は目に見えない「次元」で動いています。つまり、その「ストーカー」は偶然に彼女に近づいたのではなく、彼女の中に何か運命的なものを感じて「磁力的」に惹きつけられたのかもしれません。
「運命の世界」はすべての人に対して「公正」「平等」に作られています。そこでは過去の忘れ去った現象でさえもすべて「再現」して「均衡化」させていきます。すべては学びの「プロセス」として存在し、あらゆる人間はこの運命の世界で「輪廻」を繰り返して成長していく「存在」なのです。ですから現在は「女性」として生まれた人であっても、前世は「男性」であったのかもしれません。もし「男性」であれば当時の女性に対して「同じような行為」に及んだ可能性も否定できないのです。
そのような「過去の事実」があれば、すべての人の運命を均衡化させる法則のもとに、次の人生において「相手が体験した気持ち」を、そのときと同じような状況のもとで味わうことになるでしょう。こうした現象はすべて「学びの機会」として自らが設定するのです。私は言いました。
「あなたの心理の中には異性に溺れやすい弱い心があります」「そうした心理が今回の事件を作り出した可能性があります」
彼女は私の話を真剣に聞いていました。何かを感じたのかもしれません。こうした内容はすぐには理解できないでしょう。なぜなら誰も「過去の記憶」を持たないからです。ただ「過去の記憶」はその時点で消えてなくなるのではなく、深層心理の「奥深い部分」に残存しています。こうした「深層心理」は潜在的な「心理構造」としてその人の「心の基礎部分」を形成します。「琉球四柱推命」はこうした「潜在心理構造」の分析からその人の運命を読み取るのです。
「先生のおっしゃる意味がなんとなく分かる気がします」
彼女は最後にこう言いました。どこかで「遠い記憶」とつながったのかもしれません。
実はどんな人でも「過去の記憶」をどこかに持っているのです。その記憶を一時的に「忘却」しているに過ぎません。しかし「深層心理」の中にはこうした記憶が「種子」のようになって宿っていますから、そのことに意識を「集中」すればなんとなく思い出すときもあるのです。
「ストーカー」という理解しにくい現象にも、「運命の世界」と深く関わる原因があります。こうした男女の「愛憎心理」は私たち人間が最も克服しがたい本能の一つでしょう。それは「生の本能」と深く結びついているために「根深い力」を宿しています。
それが「運命周期」の流れによってその本能が増幅されるとき、私たちは「理性」を失って「過激な行動」に走るのでしょう。私たち人間は「運命の世界」にあって、こうした「本能」の赴くままに生きてはいけません。その「既成事実」が自分の未来の運命を苦しくする「原因」を形成しているのです。
すべての人間は「男性」「女性」としての役割を入れ替えながら、経験を積んで「運命の法則」を学んでいきます。こうした「運命の法則」を知らない人たちが、いまだに「犯罪的な行為」に及ぶことは残念でなりません。この「性」に関する過ちは次の人生で非常に「苦しい運命」を形成していくからです。「ストーカー」という現象はそうした運命が現象化したパターンが多いのです。できれば多くの人がこうした「運命の世界」存在を学び、自らの「深層心理」「本能」を厳然として律していくことを願ってやみません。