親と子供の関係。人間関係の中でこれほど親密で強い関係がほかに存在するでしょうか。
男女の関係も時に親密になりますが、「親子関係」のような持続性はありません。職場では鬼のように思われている上司でも家に帰ると別人のように我が子に甘い人がいます。俗にいう「目に入れても痛くない」と言われるのは、こうした親子の親密さを表したものでしょう。
ただそうした親密な親子関係は、「琉球四柱推命」の運命研究からすると、実は複雑に絡み込んだ関係でもあることが見てきます。ただ単純に「親子はいいものだ」「家族はいいものだ」とは言えない側面を持っているのです。では、そうした親子関係や家族の関係にはどのような運命の背景があるのか、「琉球四柱推命」の分析のメスを入れてみましょう。
以前ですが、琉球四柱推命の「占いカウンセリング」に子供のことで悩んでいる母親が訪ねてきました。「この娘のことでとても悩んでいます」苦々しい表情で母親は語り始めると、堰を切ったように娘の話が続きました。
私は話を聞きながら、娘さんの「基礎」データに目を通します。なるほど、確かにその娘さんは自我意識の強い人であり、関心も人間関係よりも「金銭」などの物質的なものに向かっています。自我が強く物質志向の人は、必ず人間関係でもめ事を起こす人です。こうした人は生育期にも親を悩ますことでしょう。
一方で、このときに調べた姉のほうはまったく違った性格でした。控えめな人であり、関心の対象も物質よりも「人間関係」や「家庭への奉仕」に向かっていて、とても女性的なタイプの人でした。
同じ姉妹といっても潜在意識の「心理構造」はまったく違っていました。もちろんこれも運命のなせる業でしょう。それを母親に告げると、「二人の性格はまったく言う通りです」「同じ姉妹なのになぜこんなに性格が違うのでしょうか」「私の育て方が間違っていたのでしょうか」
その母親は自分の育て方が間違ったせいで、妹が捻くれてしまったと思い込んでいるようでした。そうではありません。もし育て方が悪かったのであれば、四柱推命の「命式」の中にこのような性格を読むことはできないでしょう。反対に考えれば、四柱推命の「命式」にこうした性格が表出されていることは、そもそも二人はこのような性格であるということになるのです。
「娘さんは育て方のせいでこのような性格になったのではありませんよ」「それは彼女が生まれつき持っている運命なのです」
相談者の母親はこの一言で肩の荷が下りたようでした。これまでは自分の責任だと思い込んで悩んできたのですから、その一言が少しでも救いになったのかもしれません。「そうですか、運命ですか」「でも娘も不憫な子ですね」と母親は呟くように言いました。
そこには少し誤解がありました。母親はこうした「星の下」に生まれた我が子を不憫な運命だと考えていました。そこで私は言いました。
「そうではありませんよ。娘さんは偶然にこうした星の下に生まれて運命を背負ったわけではありませんよ」「人が生まれるときはその人の潜在心理に相応するようにして、生まれる時期を選んでいるのですよ」
母親はキョトンとして聞いていました。次元の違う世界の話をすぐには理解できなかったのかもしれません。
人間の運命は「生まれた瞬間」にその人の基礎的な「土台」が決まります。しかしそうした考え方に立つと、「生まれつき幸福な運命を持つ人」と「生まれつき不幸な運命を持つ人」がいることになります。たとえばこの事例でいうと性格が穏やかで周囲から愛される姉は「幸福」な運命であり、自我が強くわがままな妹は人と争うばかりの「不幸」な運命というわけです。
相談者の母親の理解はこのようなものでしょう。ただそれは間違いなのです。人の運命が「一度」きりのものであればそうなるでしょう。ただ「琉球四柱推命」の研究を通じて到達した運命の世界は、まったく想像を超えた世界でした。運命は現在の「環境」や「遺伝子」「教育」だけから作られるものではなく、人の運命にはこれらをすべて「統括」するような運命の本質的な「世界」が存在するということでした。
つまり、私たち人間の人生は今の「一度きり」の人生ではなく、人間は何度も生まれ変わっては「異なる人生」を歩んでいるということなのです。
私たちは今は日本人として生まれてきましたが、それ以前にも別の人生があり、違う国の違う時代に生きていたのです。日本では仏教思想の影響で前世や生まれかわりの考え方が根付いていますが、現代科学を信奉する人々はこれに批判的でしょう。しかし科学の思想がたかだか数百年しか歴史をもたないことを考えれば、科学が万能ではないことを誰でも理解できるでしょう。
人の運命は「前世」を含む循環的な人生構造の中で作られる、というのが「琉球四柱推命」の考え方です。
先の事例でいえば穏やかな性格の姉は前世においても「温厚な人」であり、穏やかな生き方を好む人であった。その反対に自我の強い妹は前世においても人間関係を大切にしない生き方をし、「物質的」なものばかりに目を奪われて生きてきた、というわけです。
こうした個人のもつ「心理情報」は死んだ時点で消えるものではなく、一時的にその人の深層心理の中で「種子」のような状態で保存されているのです。
それは確かな「心理情報」として次の人生に持ち越されます。また生まれる「環境」や「遺伝子」の影響などもこの情報をもとにして決定されます。ですからこの事例のような運命パターンも偶然に「星の下」で決まったのではなく、必然的な運命の法則によってそうした「星の下」に生まれる、ということになるのです。
私は娘を心配する相談者の母親に言いました。
「お母さん、娘さんの運命というのは彼女自身の運命の流れの中で様々な苦労を体験し、またそのことを通じて自分自身の性格や価値観を修正していくためのプログラムなのですよ」「ですからお母さんとしてはそのことに責任を感じる必要はありませんし、また娘だからと深く干渉するのもよくありませんよ」と言いました。
母親は言いました。「娘のことは今まで自分の責任だと思ってきましたが、今日、そうではないことがわかりました」「責任を感じて娘に深く干渉してきましたが、これからは少し距離をおいて接したいと思います」
母親はこう言い、少し安堵した表情で帰っていきました。
琉球四柱推命の「占いカウンセリング」の仕事は正しい運命の世界を伝えるためにやっています。運命の法則を理解できずに「迷信的」なことを信じたり、自分の責任を周囲の人のせいにしたり、「迷妄」の世界を彷徨う人がなんと多いことでしょうか。彷徨うだけならまだしも、その勘違いが未来の大きな過ちの「火種」となるのです。不幸の本当の原因が自らの深層心理の中にあることを知らない人は何度生まれ変わってもまた不幸な人生を繰り返します。
運命の世界はそうした人が本当の自分の「姿」を悟れるまで、何度も運命の「荒波」の中にその人を投げ込むでしょう。そうした中で時には溺れそうになりながら必死に生きるうちに、人は本当の運命の世界を理解しはじめるのかもしれません。人はそうした大きな「宿命」を背負っているのではないでしょうか。