運のある人と運のない人の違い

「私は詩人になりたいのです。詩集を出して作家になりたいのです」

開口一番、彼女はそう言いました。10代後半の女の子で端正な顔立ちに清楚な身なりをしていました。しっかりとまとめられた髪が彼女の生まじめな性格を表していました。全体的にどこか日本的で奥ゆかしい雰囲気が漂っていました。

「私に詩の才能があるかどうか見てください」

自分自身にどんな「才能」があるのかは誰でも気にかかるものです。もし何らの才能があればその分野で「成功」を収める可能性が高まりますし、反対に才能がなければ最初からその道に進むことを諦めるべきかもしれません。

「少し待ってください。才能を調べてみますね」

私は彼女の「基礎データ」を読み込んでいきます。「才能」「能力」は人によって大きく異なります。それは人の「心理構造」がすべて異なるからです。「趣味」「嗜好性」「気質」「体質」「考え方」などはすべて「心理構造」に反映されます。ですからその人の「心理構造」を調べれば、その人の才能や能力を知ることができるのです。

彼女の「心理構造」からそうした「創作分野」の才能があるかを見ていきました。彼女の「心理構造」は感情の「情動性」が強く、それに加えて「思考力」「創造力」を示す自我機能が強く働いています。さらに「元素パターン」がそうした「表現機能」を高める性質を持っていることがわかります。総合的にこうしたデータを拾い集めて判断していきます。彼女には十分な創作の才能があるようでした。

「あなたには自分の感性を表現する十分な才能があると思いますよ。創作意欲も充実しており、その道に打ち込むと良いでしょう」

彼女の「詩が好き」という趣向はこうした潜在的な「表現力の強さ」の現れなのでしょう。「感性の豊かな人」は自分のこうした潜在的な才能や能力に気づくことがあります。彼女は「感性の豊かなタイプ」であり、その感受性によって自分の才能になんとなく気づいていたようです。

「そうですか、良かった」彼女は安堵した表情で喜んでいました。自分の才能を認められた喜びを隠しきれないようでした。にこやかな表情に変化しています。

「しかしそれはあくまでも素質に過ぎませんよ。素質は磨いてこそ価値が出てくるのであり、磨かなければ錆びてしまいますよ」

私はストレートに言いました。「素質」とは潜在的な秘められた「能力」でしかありません。それは植物の「種子の状態」にたとえられるでしょう。「種子」に水を与えて肥料を入れ、日々世話をすることで「種子」は成長します。しかし放っておけばその「種子」は枯れてしまうでしょう。「才能」もこのようなものです。多くの人はいろんな「才能」を持っていますが、その「才能」を見出すこともしませんし、それを「開花させる努力」もしないのです。自分の豊かな才能に気づかずに枯らしてしまう人がなんと多いことでしょう。運命を調べる中でこのような人を何度も見てきました。

「そうですか、わかりました。今は暇を見つけては創作活動をしていますが、これからも努力をしていきたいと思います」

こうした特殊な分野で「個性」を生かして活動したいと望む人は多いのです。「琉球四柱推命」の「占いカウンセリング」にも「歌手」になりたいとか、「作家」になりたいと真剣に考えている人が時々訪れます。そこで潜在意識の「心理構造」から才能を調べるのですが、単に思い付きでなく、長いことその分野にこだわっている人というのは、ある程度の「才能」を持つことが多いのです。もし最初から才能がまったくなければ「興味」すら抱かないのではないでしょうか。

常識的に考えればそうした才能に磨きをかけていく「十分な時間」が必要でしょう。ただ作家や芸能人や音楽家という「人気稼業」はそうした才能や努力に加えて、もう一つ重要な「要素」もあるのです。

「先生、才能があってそれなりの努力をすれば必ず成功できますか?」

彼女は私のこうした考えを読み取ったのか、的を射た質問をしてきました。

「もしあなたがそうした特殊な分野で成功を収めようと思えば、それだけでは十分でありません。才能、努力に加えて強い運というものが必要です」

多くの人は「運がある」「運がない」というように、「運」という言葉をよく使います。ただその本当の意味を理解してはいません。「運」とはそうした「偶然の好機」を示すものではないのです。私は長いこと「運命の原理」を探求してきたわけですが、それが単に観念上の意味ではなく「実在的な原理」を内臓するものであることを知っています。

「運」とは「周期変化」と関って動いている、人の意識に付随する「原理」をいうのです。たとえば「運がついている」というとき、それは偶然の好機ではなく、実際に人間の願望を叶えるように「意識エネルギー」が意識の背後で動いているのです。

その「意識エネルギー」はそれを発する個人の「願望」や「意思」を実現させるべく動いており、その人の周囲の人に影響を与え、その人に必要な情報を引き寄せたり、あるいはその人を必要な方向に導いたりしているのです。

こうした動きはその人の意思を方向付ける「意識エネルギー」の力によって為されており、霊感的な能力のある人は実際にこうした力の動きを見ることができます。

またその反対に「運がない」という状態のときは、それと全く反対のことが生じてきます。こうした時期にある人は努力を積み重ねても、それがなかなか「結果」につながりません。それどころかその人を「失敗する方向」に向かわせたり、「敵対する人」が現れたりします。その人がこうした状態を抜け出そうとしても、意思とは反対の状況が作り出されていくのです。それが「運のない」状態です。

こうした状況から抜け出すのは容易ではありません。なぜならそうした原因が「外部」にあるのではなく、自らの「内部」にあるからです。私は詩人を目指す彼女にそうした現実があることを伝えました。

「では私の運はどうなっているのですか。これから良くなっていきますか」

彼女が心配するのも無理はありません。こうした「人気稼業」を目指す誰もが気にかかる部分でしょう。私は彼女の「基礎データ」を見ながら、彼女の今後の周期の流れを見ました。「運が良い」という状態は基本的に「活動性のある周期」が巡るかどうかにかかっています。この活動性のある周期が巡ると、現実的な能力が冴えるようになります。凡庸な人でもこうした周期が巡れば成功する人も多いのです。

これを意識の「活動周期」と呼んでも良いでしょう。こうした状態になれば意識が非常にアクティブな状態になり、様々な成功のアイディアが閃きますし、またそれを現実化させる行程も見てきます。こうした能力の変化に加え、さらに「目に見えない次元」を動かす神秘的な力も作用するのです。

彼女の40代の半ば以降にこうした周期が巡っていました。またその活動の周期を妨げる「心理構造」もないために、その力がストレートに強く作用することが予想されます。

「40代以降に運が非常に良い状態へと変化していくでしょう。その頃に夢や希望が叶うでしょう」

彼女は目をキラキラと輝かせながら聞いていました。彼女のような運は特殊な「事例」ではありません。多くの人が生涯に一度くらいはこうした「活動時期」が巡るのです。ただし、その作用がうまく働く場合と働かない場合があるのは事実です。またこうした周期がその人にとって良い時期に巡らなければ、その価値も半減してしまうでしょう。事実、中には老齢になってからこうした周期が巡る人もいるのです。

「その時期が来れば何もしなくても成功するというわけではありませんよ。成功の度合いは現在のあなたの努力と比例しますよ」

多くの人が「運の意味」を曲解して自分に都合よく解釈したがる傾向があります。「良い運」が巡ればすぐに「大成功する」と思い込んでいる人がたくさんいるのです。

けっしてそうではありません。「運が良い状態」とはその人の潜在力が十分に生かし切れているという状態です。ですから反対に言えばその人が成功への「意思」がなく、またそのための「努力もしていない状態」であれば、そうした周期に入っても何も起きないのです。それを本人が心の中から「望んでいない」わけですから、それも当然でしょう。「意識エネルギー」はあくまでも個人の内面の「意思」に沿って動くに過ぎません。その個人が何も望まなければ動きようがないのです。

私は言いました。「あなたにはその時期が巡るまでは多少の試練があるのでしょう。しかしそれを将来のステップと考えて乗り越えていってください」

彼女にはそうした良い時期が巡るまで数十年の「試練の時期」がありました。その時期は彼女にとっては「厳しい時期」になるでしょう。特に「家庭的な問題」が発生することを暗示していました。彼女の運命の中に成功の前に成し遂げればならない何か「試練」があるようです。しかし彼女は強い意思でそうした苦しい時期を乗り越えていくでしょう。私はそう確信しました。


 

 

2019年10月14日