家族と運命のシンクロ現象

「琉球四柱推命」の長年の研究で発見した面白い「運命の法則」があります。それは家族の運命は「シンクロ」するという現象です。

 

実に不思議ですが、家族一人ひとりの運命を調べていくと、信じられないくらい家族の運命の流れが「符合」しているのです。つまり運気の「良い時期」や「悪い時期」が家族全員にピタリと重なるのです。

ただ単に数学的な確率でいえば、一人ひとりの運命の流れがピタリと符合することはありません。運命の研究を始めたころはこのような法則を理解できず、運命は「個人」だけに存在するものだと思い込んでいました。ですが「占いカウンセリング」を通していろんな家族の運命を見ていくうちに、家族が共通して持っている運命の不思議な「一致」に気づいたのです。

科学的に考えれば「血」のつながった家族というのは似た「遺伝子」を持つわけですから、似たような「気質」「性格」が出てくるのは当然でしょう。ただ遺伝子では家族の運命が「シンクロ」するという謎は説明できません。私も当初はこの理由を見出すのに苦労しました。ただ事実としてそうしたことが観測できるのですから、謙虚に受け止めて理由を見つける必要があります。そうでなければ家族の不幸も「祟り」だとか「先祖の悪業」だとか「家屋」の出来が悪いからとなってしまうのです。

家族全員にいっせいに「悪い出来事」が起き始めると、運命の流れが生まれつき決まっている運命の法則を誰も知らないわけですから、「祟り」だとか「家が悪い」とか考えだすのでしょう。しかし「運命の流れ」というのは「家族全員」の運命の流れとして、あらかじめ決まっているのです。そのように考えなければ、家族一人ひとりの「生年月日時」の中にこのような運命の流れが「一致」する現象が現れてくることはありません。

こうした家族の運命の流れは家族全員の「生年月日時」を詳細に分析して比較すれば、かなり前から予測できるのです。そして実際にこの時期がやってくると、その家族には様々な「不幸」が出現してきます。それは「病気」であったり「事故」であったり、「事件」であったりします。特に家族の中でも一番運気の「悪い人」に集中して現れてきます。

ただ、こうした突然の「現象」はその当事者である家族でさえ理解できない現象です。たいていの人は何かの「祟り」だと勘違いして「お祓い」をしたり、宗教団体を頼ったりします。ですが、それで収まるわけもありません。それは家族が持つ「運命」であり、その運命の「不調和」をもたらす時期に来たことが本当の「原因」なのですから、もちろん「お祓い」などで根本的に治すことはできないのです。

では家族のこうした苦しい時期はどのように乗り越えたらよいのでしょうか。一番大事なことは家族に起きている現象を「冷静」に見つめるという視点です。「琉球四柱推命」でもこうした事例を何度も見ますが、決まって聞くのは「何とかならないのですか」「すぐに変える良い方法はないのですか」というものです。

そこには何でも良いから「助けて」ほしいという想いが伝わってきます。占いカウンセリングでは「私たち家族が何か悪いことをしたのでしょうか」と聞かれるのが通例です。そんなときは「いや、あなたの家族が何か悪いことをしたということではありません」「ただこれは家族の中でしか処理できない問題なのです」「はっきりしているのは、あなたの家族は一致協力して現在の運命を乗り越えねばならないということです」と答えています。

現在のつらい気持ちはわかりますが、実際にその家族を「救う」ことができるのはその「家族自身」しかありません。家族は「運命共同体」のようなものです。

それは「同じ船」に乗る人々に例えることができるでしょう。家族一人ひとりは「船員」のようなものです。その船が嵐にあって「遭難」しかけたときに、大事なことは「一致協力」してその船を遭難から「救うこと」です。それはそこにいる「メンバー」にしかできません。

家族の不幸を本当に救えるのは宗教の「教祖」でもなく神社の「神」でもありません。家族の不幸を本当に救えるのは「家族自身」なのです。

「運命の神」はある家族にそうした「苦難」を与えます。そのときに家族一人一人がそうした「危機」において自己の正しい「役割」を果たせるのかを観察しているのかもしれません。こうした家族の危機において正しく役割を果たせなかった人々は、未来において再び同じような「運命の試練」を与えられることでしょう。

家族における不幸の原因は、その家族が全体として「共有」しなければならない「負の遺産」といえるものです。その「責任」はその家族一人一人が背負っており、その原因もまた「家族全員」に共有しているわけですから、一人一人が真摯に対応していかねばなりません。家族がこうした「危機」を乗り越え、本当の意味での「自己犠牲」を確立するときに、家族の不幸という現象は遠くに去っていくでしょう。

それは家族全体の「心の影」として生じた負の現象であって、何ら「実体」のないものです。ですから家族がその運命の「負のプロセス」に気づけば、その「影」は自然に解体していくのです。そして家族にはまた「平穏な時期」が戻ってきます。

しかし、ある家族はこうした危機を乗り越えられずに「一家離散」という悲劇をまねくことがあります。それは船が「遭難」したとき、船員が協力せずに「互い」を非難し、ばらばらの行為を行ったときに生じる「悲劇」みたいなものでしょう。

「運命の神」は家族のこうした「非協力的」な態度がもたらす結末をすべて承知のはずであり、こうした家族には未来において再び同じような「試練」を与えることでしょう。

その反対に大きな「試練」を乗り越えた家族には、それ以前には存在しなかった「深い絆」が生まれます。その絆が家族の「縁」をさらに深いものにしていきます。苦しい試練は人間の魂の「特性」を発達させ、その人の心をさらに豊かなものにしていくものです。家族とは「幸福」も「不幸」もともに分かち合う「仲間」であり、人間の魂はその中においてこそ本当の「進化」「成長」をとげることができるのでしょう。


 

 

2019年09月18日