常人にはない神秘的な能力ー「霊感」に対する評価は人それぞれでしょう。「合理的」な考えをする人は「霊感」をインチキめいたものとして捉えますし、「宗教」「占い」が好きな人であれば反対に「羨望の的」になることもあります。
その「真偽」はひとまず置いておくとして、では運命的な世界から見た場合、「霊感」はどのようにして「発現」するのか、そしてそれにはどのような背景があるのかを考えてみましょう。
「琉球四柱推命」の「占いカウンセリング」にもよく宗教的なものを好む人や「霊感のある人」がやってきます。彼らの多くは神秘的な世界に対して「感性」が開けており、非常に鋭敏な人が多いという特徴があります。ただ実は「運命の世界」から見た場合、彼らの多くが類似的な「運命傾向」を持つことに気づきました。
「先生、私の運命をみてください。どのようなものが出ていますか?」
この人は20代後半の男性でした。やや小柄で痩身ですが、身なりはけっして奇麗とは言えません。着古した上着はどこか萎びており、質素な身なりからは「裕福ではない」ことがわかります。少し伸ばした無精ひげは順調ではない生活の証なのでしょうか。
私は言いました。「わかりました、少し待ってください」
彼の「基礎データ」を分析していきます。驚きました。彼の「心理構造」は知性の部分に大きく偏っており、なかなか見られない特異な命式=「心理構造」でした。これは彼の関心が「特定の分野」に偏っていることを示しています。
「失礼ですが趣味や仕事などで何か懸命に取り組んでいるものがありますか?」
私は言いました。すると彼は小首をかしげて言いました。
「うーん、特に取り組んでいるわけではないのですが、前から霊的なことに興味がありました。今でも時々霊感みたいなものが働くことがあります」
なるほど彼の集中した「関心の対象」は「霊的な世界」への関心だったようです。彼のように何か「特定の分野」に関心を強く持つと、「心理構造」が大きく偏ることがあります。それが一概に「悪い」とはいえません。その対象によって良しあしは変わります。
「そうですか、霊感ですか。ではどのようなときに霊感が働くのですか?」
彼に少し突っ込んだ質問をしてみました。彼は言いました。
「霊感は生まれつきあったわけではありません。20歳ごろの夏に突然出てきたものです」
「それは興味深い話ですね。何かそのきっかけがあったのですか?」
彼は少し考えてから言いました。「きっかけと言えるかどうか、その頃はとにかく霊的な関係の本に熱中していたのは確かです」
こうした関係の本に熱中するのは彼の生まれ持った「資質」でしょう。それは彼の「心理構造」からみても不思議なものではありません。どうして彼だけが「霊感が働く」ようになったのでしょうか。
彼はそれが生まれつきのものではないと言いました。そうであれば「周期の変化」の影響を受けたことが考えられます。私はすぐに調べました。やはり思った通りです。彼の「周期」は20歳ごろに変化しており、その能力の芽生えた前年の年はちょうど大きな「変化点」に当たっていました。
そしてその周期は彼の「心理構造」と「健全な理性」の機能に障害が出ることを暗示していました。
「その能力が芽生えた時期に何か悪い現象が起きませんでしたか?」
私がこうしたことを聞くのは、彼の「霊感」が健全な形ではなく、ある種の「異常な心理状態」の中でそれが機能していることを読み取ったからです。
その時期の彼の「心理構造」は「理性」の機能が衰弱しており、その反対に「知性」の機能が過剰に機能していました。こうした異常な心理バランスが「霊感の発現」と深く関わっていたのです。
「はい、たしかにその頃はたて続けに良くないことが起きました」
彼は驚いた表情で私を見ました。彼のこうした能力の芽生えと共に彼の家族にも立続けに「不幸」が起きていました。それは家族の運命が「シンクロ」することでも説明がつくでしょう。彼の「霊感」は家族や自らの「不幸な現象」とからまって現象化していたのです。
多くの人はこうした「霊感」に何か神秘的なものを感じて、自らもそうした「能力者」になりたいと考えます。しかし私が「四柱推命」を通じてみて突然発現する「霊感者」の運命は、けっして好ましいものではありませんでした。むしろそれは崩れた「心理バランス」が生み出す非常に「危うい能力」でもあったのです。
ある宗教団体の「指導者」は自らの「霊感」を誇りにしています。ところが「琉球四柱推命」で調べた限りでは、彼の運気が低迷する「危険な時期」にこうした霊感が「発現」していたのです。
こうした「危うい時期」に発現した能力に、私はある種の「危惧」を抱かずにはいられません。なぜならこうした運気の低下した時期には「霊的な世界」も含めて「魑魅魍魎」の様々な「干渉」「誘惑」があるからです。
それは私自身が過去に「経験」してきたことであり、自らの「経験」からもこうした世界が非常に「危険なもの」であることを知っています。こうした「霊的な世界」にいる存在は私たち人間の弱点を「直感」で知っており、見事にその「急所」を突いてくるのです。
たとえば「名声」に弱い人がいます。すると彼らはその人を「有名人」に仕立てて彼を利用します。また「お金」に弱い人がいます。すると彼らはその人に「大金」を与えてその人を利用します。
どんな人であれ人間である限りは必ず「弱点」を持っています。「完璧な人」など一人もいません。誰でも自分では意識すらしない「脆弱な心理」を抱えているのです。「琉球四柱推命」の分析ではその人の「心理構造」を調べることで、そうした「弱点」を知ることもできます。ですから危うい運命に陥らないように自分を戒めることもできるのです。
「先生、ではこの能力は無いほうが良いのですか?」
先の青年はこれまで自分の「霊感」を自慢していました。友人の「隠された心境」をズバリと言い当て、未来の「出来事」を言い当てることで彼なりに「悦に浸っていた」ようです。しかしそれは「迷妄の世界」と紙一重であり、一歩間違えれば「カオスの世界」に陥る危険性を秘めていることを知れば、彼の考えも変わってくるでしょう。
こうした「潜在力の発現」は人間の健全な「心理システム」を破壊してしまう「危険性」を常に秘めているのです。人間の「心理機構」はこうした危険な「潜在能力」を封印し、健全な「理性」を機能させることで、人が安定して生きれるように「配慮」されているのです。
「霊感」とはそれが自然かつ健全に機能した能力でない限り、それは常に「受動的」なものであり、実体のない「影」に振り回される危険性と常に隣り合わせなのです。
「うーん、そうでしたか。自分では素晴らしい能力と思っていたのですが。違っていたのですね」
彼はようやく自分の置かれた危うい状況に気づき始めたようです。実際に彼のこうした「霊感の出現」と共に彼の家族には「様々な不幸」が出現していました。彼の家族は「経済的」にも行き詰まり、親戚に「借金」を重ねていました。「病気」などにもすいぶん煩わされたといいます。
彼の突然出てきた「霊感」はこうした家族の不幸と「シンクロ」して発現していたのです。言い換えれば、彼の「霊感」は家族のこうした「危うい運命」を象徴するものでもあり、実際に危険な「霊存在」を導入する「窓口」となって家族の不幸をさらに増幅させていました。彼は自分の運命に何が起きていたのか、ようやく理解しつつありました。
「自分が家族を不幸にしていたのですか。とてもショックです」
彼は落胆していました。私は勇気づけるために言いました。
「家族の不幸は必ずしもあなたの責任ではないでしょう。それは家族にも共通する運命でもあるからです。しかしあなたがそれを拡大させる役割を果たしていた事実はあるかもしれません」
目に見えない世界は「霊的な存在」も含めて、あらゆるものが生きている世界です。それは「人の霊」ばかりではありません。生霊的な「人の想い」や「過去のカルマ」、「動物の霊」「精霊的なもの」、あるいは想像もつかない「魑魅魍魎的」な存在、さらには人間社会の「覇権」を狙う「権力志向の霊存在」もあって非常に危険な世界でもあるのです。
そして「霊感」とはこれらの作用を防衛する「理性」が不安定な状態になる現象ですから、それが非常に「危険なもの」であることが理解できるでしょう。
「霊感」にこうした背景があることを理解すれば、誰も「霊感を持つ人」に対して憧れを抱いたりはしないでしょう。大事なことは「霊感」を神秘化して批判もなくすぐに信じることではなく、どんな「霊現象」でもそれを「合理的」に検証し、かつ正しく「分析」するという態度にあるのではないでしょうか。それが霊的な現象を健全に扱う「秘訣」でもあるのです。