競技場を埋め尽くす観衆。その視線の先はすべて「あなた一人」に向いています。会場割れんばかりの「拍手」を浴びて、あなたは自分の「競技」に集中しています。
このような状況を「想像」してみてください。もしあなたが優秀な「アスリート」であれば、このような最高の「シチュエーション」を味わうことができます。多くの人から「尊敬」「羨望」の眼差しを受ける快感はそれを味わった人にしかわからないでしょう。
現在、スポーツの分野で活躍する「有名人」がたくさんいます。彼らの多くは人並み外れた「天性」の才能によって現在の地位を勝ち取ってきた人たちです。私たちのような凡人はこうした才能ある人に対して「複雑な感情」を抱きます。時には彼らの才能を「羨む」でしょうし、また時には自分もそうなりたいと考えて「同じ道」を志すこともあるでしょう。
では、私たちの心を魅了する優秀な「アスリートの運命」はいったいどのようなものなのでしょうか。彼らの運命には何か特殊なものがあるのでしょうか。
以前、アスリートの道を歩む「若者」が訪ねてきました。彼は「空手」を長いことやっており、将来はその道で「有名になりたい」と真剣に考えているようでした。
「私は長いこと空手をやっています。将来はこの道でやっていこうと考えていますが、この先はどうなるでしょうか」
アスリートによくあることですが、彼はちょっとした「スランプ」に悩んでいるようでした。以前は上達するのが手に取るようにわかったといいます。ところがここ数年はまったく伸び悩んでおり、「成績」も振るわないとのことでした。
「わかりました。原因を探ってみましょう」
私はそう言うと彼の「基礎データ」に目を通していきます。「スランプ」ーそれはアスリートが最も恐れる状況でしょう。そこから抜け出すのは容易なことではありません。どんなに練習を頑張ったところで、満足のいく結果が出るとは限らないのです。
そこから「焦り」がでてきます。精神的にもだんだんと追い詰められていくでしょう。「東京オリンピック」で活躍したある「マラソンランナー」は成績が伸び悩んで「自殺」という「最悪の悲劇」を招きました。アスリートにとって「スランプ」とはそれほど大きな試練なのかもしれません。
「スランプに入ったのはいつ頃からですか?」
私は言いました。おそらくスランプの「原因」は数多く存在するでしょう。その時の「身体の調子」「心の問題」、あるいは「才能の限界」ということもあるでしょう。あるいはこれらの「複合的な原因」がある場合もあります。その原因を特定するのは容易なことではないのです。
「スランプに入ったのは今から2~3年前くらいからです」
彼のその頃の状態を確認してみます。ちょうどその頃に「周期」の変化が生じています。以前の「周期」をみるとかなり「良い状態」であったことが予想されました。以前は「身体の周期」が巡っています。この「身体の周期」が巡ると身体全体に生命エネルギーが流れていき「身体全体」の「活力」が生じてきます。また「身体リズム」が活性化されるために「運動神経」「反射神経」が強化されます。このように身体全体がアクティブな状態になれば当然、スポーツなどでは活躍できるというわけです。
実際に多くの「優秀なアスリート」がもともとこうした「心理構造」を持っているか、あるいは「周期」で巡っているかのどちらかなのです。この青年の場合は「10年間」この「周期」が巡っていました。ところがここ3年ほど前に大きな「周期の変化」があり、現在は「理性の周期」に入っていました。
「理性の周期」に入れば「意志力」が強化されるようになります。ただ意識エネルギーが「理性機能」に流れていくために、「身体能力」は相対的に弱まるのです。「意志力」が強くなり「身体能力」が弱まると、身体が意志の力についていけなくなります。そのために「身体が故障」するようになるのです。
多くのアスリートがこのような運命をたどります。運命の変化する法則を知らない人は、急に才能が「枯渇してしまった」と考えるでしょう。しかし才能そのものが「無くなった」わけではなく、それは「周期的なリズム」によって一時的に与えられた能力が「消失した」にすぎないのです。
「あなたがスランプに陥った原因は時期的なリズムの変化によるものです。以前は好調であった身体のリズムが今はもう過ぎ去ってしまったようです」
なるほど、そんなことがあるのかもしれない、と青年は考えたようです。毎日を「ハードな練習」に明け暮れるアスリートであれば、そうした何らかの「リズムがある」ことは経験的に理解できるでしょう。
「そうでうか。ではいつ頃からそのリズムは戻ってくるのでしょうか」。彼は言いました。
「身体のリズム」は意識の指令を受けて働くために、その影響を多く受けます。「意識の状態」が充実しているときは「身体の調子」も良いものですが、反対に「意識の状態」が不安定の時は「身体の感覚」も何となく冴えません。それは多くの人が経験している事実でしょう。
「私がここで言っているのは大きな周期のリズムであり、一時期の小さなリズムではありません。あなたは10数年前にこの調子のよいリズムに入り、しばらくは好調な時期が続きました。どうやら現在はその影響が去りつつあるようです」
この青年の場合、身体的な能力は生まれつきのものではなかったようです。それは「周期」の巡る力によって一時的にもたらされる能力であり、その期間だけ「身体能力」が向上していたに過ぎません。ですからその「周期」が巡っている間は「身体能力」が活性化されて能力を発揮できますが、その時期が過ぎ去ってしまうとその「能力も失われる」のです。つまり彼のスランプは一時的な「停滞」ではなく、これからもずっと続いていくと予測されるのです。
「そうでうか」。彼は自分のスランプは一時的なものだと考えていたようです。おそらくそのうち「回復する」だろうと考えて練習に励んできたに違いありません。残念ながらそうではないのです。運命とはある意味、「残酷なもの」と言わざるを得ません。落胆している彼の顔を見ると本当に気の毒に思えます。
ただ彼のような「運命パターン」は特別なものではありません。多くのアスリートが彼と似たような状況を経験しているのです。かつて相撲で活躍した「関取」は若くして異例の出世を遂げましたが、やはり「周期の巡り」によってもたらされた結果でした。「周期のリズム」が変わって数年後に身体を壊し、若くして「引退」を余儀なくされました。
またある「野球選手」は若くしてドラフト2位で指名され将来の「活躍」を期待されました。しかし球団に入団して数年後に「周期」が変化して好調な時期が過ぎ去り、それに比例するかのように徐々に成績が下がり始めて「二軍落ち」となり、結局はその後も活躍できずに引退したのです。
アスリートの「活躍」と彼らの「心理リズム」の調子は多くの場合は一致します。ある有名なテニスプレイヤーを「追跡調査」したときは「心理グラフ」の上下の動きと彼女の毎年公表される「ランキングの順位」が見事にピタリと一致していました。このような分析調査からも「周期グラフの計算」がかなり正確に為されていることがわかると思います。
どんな人も「意識の影響」を受けるのです。身体の訓練を突き上げた優秀なアスリートでさえも例外ではありません。
「では、もし先生の言う通りに今後も伸びていかないとすれば、私はどうすればよいのでしょうか」。彼は不安げな眼差しで私を見つめて言いました。
これは多くのアスリートが突き当たる「問題」です。実際にアスリートの多くが小さい頃からこの道一本に打ち込んでいます。成績がどんどん伸びていく場合は「希望」と「やる気」に満ちていることでしょう。しかしどんなスポーツであれ「身体」や「技術の限界」というものがあり、いつかは「壁」に突き当たるものです。そのときにアスリートとしての「真価」が問われるのかもしれません。それは競技で良い成績を残すよりも、実はもっと大切なものかもしれないのです。
「あなたが今後どうすればよいのかという問題は簡単ではありません。その回答は人によって異なるからです。ある人は挫折感を抱いて今後の人生を歩んでいくかもしれません。しかし別のある人は後進の指導に活路を見出すかもしれないのです。それはあなたがその道を通して何を学んだかによるでしょう。未来にそのことが試されるのです」
彼は押し黙ったまま私の話を聞いていました。何か感じるものがあったのかもしれません。
アスリートの多くは非常に苦しい練習を長い期間にわたり積んでいます。しかしなぜそれを続けるのかと聞かれても答えられないものです。「好き」だから続ける、「有名になりたい」から続ける。その答えはたくさんあるでしょう。一見すると他者と「競争」しているように見えても、本当は「自分との闘い」こそが真のアスリートの姿なのかもしれません。
自分の中にある「甘えた心」「人に依存する弱い心」「現実にすぐに妥協する怠惰な心」などです。どんな人の心の中にもこうした人間としての弱点があり、人はそれを克服するために身体に試練を課して努力を続けるのです。アスリートはそうした自分の「身体」と向き合い、それと対峙することで自らの「弱い心」を鍛えていきます。常にある緊張とプレッシャーを通して、彼らは自身の「弱い心」と闘い、人間として大きく「成長していく」のかもしれません。
アスリートが本質的にこのような運命を背負っているならば、「スランプ」に陥ったときにどのような「活路」を見出し、またどのような未来をたどるのかは、それぞれなりの答えがあるのかもしれません。